孤独な男二人がユルい会話と過去を振り返りながら東京の街を巡る物語は、ほのぼのでありながら、「せつなさ」と「小さな幸せ」を感じさせる。
両親から捨てられた大学8年生の竹村文哉(オダギリジョー)は、取り立て屋の福原愛一郎(三浦友和)から借金の返済を責められていた。
しかしある日、福原から「借金をチャラにする代わりに自分の東京散歩に付き合って欲しい。」と持ち掛けられる。更に、その報酬として100万円を貰えると言われ、胡散臭いと思いながらも一緒に旅に行く事にした。
しかし、旅は、思い付きのように道草ばかりしているような旅で、文哉の初キスの相手の所に寄り道したり、福原と妻の思い出の店に寄ったりブラブラと進む。
福原は一体何の目的があって旅を続けるのだろうか。
ゆるーく、のんびりとしているのであるが、一つひとつ東京の街を記憶していく旅は、福原は思い出を噛み締めているようでもあり、それは何かを覚悟してしているようでもあった。
二人の思い出を巡る東京の旅は、思い出の場所や人々が時間の経過と共に、無くなってしまったり、変化してしまったりしていた。
こういう経験って、自分自身にあてはめても、よくあると思います。昔住んでいた場所やよく行った店に何かの機会に久しぶりに訪れると、様変わりしていたり・・・また、十数年も会っていない友人や知り合いに会った時、当時とは思わぬ方向の人物になっていたり、などなど・・・。
そんな、細切れの思い出を道草をしながら拾い集めるように歩く旅。
「果たして、この旅に終わりなどあるのだろうか?」そんな気分にさせてくれるほど、時間は、穏やかに過ぎていく。
そして、物語の後半で、男二人は、ふとしたきっかけで父と息子を演じる事になってしまう。
思いつきで福原が結婚式で雇われ親戚を演じたときの妻役だった麻紀子(小泉今日子)の家に転がりこんだ時、偶然に麻紀子の姪のふふみ(吉高由里子)が訪れ、文哉と福原と麻紀子の三人は、家族を演じることになってしまう。
三人にふふみが加わり、どこにでも居そうな幸せな四人家族を数日間過ごす事になる。
台所から聞こえる笑い声。食卓を囲み、どうでも良い事に夢中になって会話する。家族で遊園地に行く。
誰にでも手に入りそうな幸せな四人家族の風景。
それは、文哉と福原には、体験したことのない不思議な夢のような幸せの一時だった。
「幸せは、来ている事が気づかないほど、じんわりやって来る。でも不幸は、とてつも無くはっきりやって来る。」
そんなセリフのように家族の団らんとも別れを告げる日が来る・・・。
東京を旅するなかで起こる出来事や思い出されるモザイクのようなエピソードは、誰もが日常の暮らしの中で、抱いている小さな幸せや悲しみだったりする。
普通の映画であれば、そんな思い出の場所やエピソードなどは、さり気なく作っているんだろうけど、三木作品のすごさは、そういった普通の視点であれば、どうでも良い所にこだわって作りこんでいるところだと思う。
だから、そんな映像を見せられたら、誰もが自分に置き換えて、過去を振り返る事で共感してしまうんだろうなぁ。しみじみ思いました。
また、男二人の旅にリンクして、国松(岩松了)、仙台(ふせえり)、友部(松重豊)の三人組のお気楽で不完全燃焼な物語りも進んでいきます。これも、ある意味、高まる緊張感をゆるーくさせてくれるので、とても心地よく見る事が出来ました。
また作品は、藤田宜永の小説作品を原作としています。
ちなみに、劇中、文哉が使うハンカチは、ハンカチ王子が甲子園で使っていたハンカチと同じであったり、麻紀子のスナックの名前が「スナック時効」となっていて時効警察とのリンクとなっているそうです。


