孤独なラブドールが心を持つという切ない大人の妄想メルヘン。
印刷工場の機械の音が鳴り響く下町のアパートで暮らす孤独な男 秀雄(板尾創路)は、空気人形[ラブドール]にメイド服を着させ、「のぞみ」という名前をつけて恋人にして暮らしている。
ある日、その空気人形(ペ・ドゥナ)は心を持ってしまう。
「私は空気人形、性欲処理の代用品。持ってはいけない心を持ってしまいました」
秀雄の部屋しか知らない空気人形は、その小さな世界から飛び出して街に出かける。公園、子ども、ビン、ゴミ、見るものすべてが珍しかった。
そして、何となく入ったレンタルDVDショップの陳列されたDVDに興味を持つ。
そこで働く純一(ARATA)に親切にしてもらった事がきっかけで、彼の事が気になりはじめてしまう。
しばらくして、その店でアルバイトとして雇ってもらうことになった。
哀しい恋の予感を感じさせるオルゴールの音が儚く響く。
空気人形は、秀雄が仕事に出掛けている昼間、レンタルショップでアルバイトをしたり、街をぶらぶら散歩する。
秀雄は、何も知らない。夜、秀雄は、空気人形とセックスし、湯船に入れ、一人で話しかける。秀雄の前では、ただの空気人形のままだった。
そして、ある日、海を見たことがないという空気人形をつれて純一は、海に出かける。
普通の恋人同士のように、ひと時だけ幸せな時間を過ごす。
空気人形は、何かを残すように会った人や興味を持ったものの絵を描きはじめる。
店長、老人、老婆、客、警官など、人間の世界で色んな知り合いができる。
「命は自分自身だけでは完結できないように作られているらしい。」
空気人形は、自分とつながる人々の関係性から生きていることを実感していく。
ある時、空気人形は店の棚に手を引っ掛けて手が破れてしまう。
どんどん空気が抜けて、しぼんでいく・・・。
異変に気付いた純一はテープで修復して、へそに口をつけて空気を入れてくれ、空気人形はもとどおりになる。
この空気を入れるシーンがエロチックで、まるで愛し合っている恋人同士のように官能的です。
「自分も中身が空っぽの空気人形みたいなもの」
純一のそんな言葉に、空気人形である自分を受け入れてくれたことに安心する。いや・・・勘違いする。
空気人形と純一は、普通の恋人のようにバイクで出かけたり、映画を見たりする。
しかし、彼女は、家に帰ったらラブドールとして秀雄に抱かれなければならない。
「心を持つことは、せつないことでした」
そして、空気人形は、心を持ってしまったことを秀雄に知られてしまうこととなるが・・・。
「小さな世界からのぞく、知らない世界への好奇心。」というシュチュエーションが個人的には、好きで、心を持った人形から見た人間社会の描き方と言うのがとても萌えます。
また、本来なら日のあたらないオトナの玩具ラブドール[空気人形]を主役とする視点は、受け容れられる対象を限定するようにも思うんだけれど、このあたりの狙い具合も素敵です。
日本映画は、海外では「COOL」と評価されているようで、決してメジャーではない「COOLなサブカルチャー映画としての代表作」といっても過言ではないと思います。
さらに、汚れた部屋、ゴミ、下町の街並など、モチーフとしては美しくないものも物語の中では出てきたりするのですが、撮影監督、リー・ピンビンのカメラによる映像はとてもきれいな絵で仕上がっています。
ペ・ドゥナが出演した日本映画と言うと、リンダリンダリンダが印象深いのですが、今回の作品の方がペ・ドゥナの人形顔は、しっくり来ているように思います。普通あまり選ばない人形が着るような洋服がとてもよく似合うぺドウナがかなり可愛いく見えます。
堂々とした脱ぎっぷりで全裸サービスも見所かな。
「カゲロウのように空っぽな体。」
と言う比喩もされていたりして、それは、人間も同じようなものだと言うメッセージをしていたりして、どれだけ深みのある言葉なのか解らないけれど、心を持ってしまった人形の人生も、人間の人生も大差は無いのかもしれない。
しかし、最後は少しせつなく衝撃的なんだけれど、よく考えてみれば、自然や世の中で起こる出来事と言うのは、時に残酷であり、理解を超える摂理だったりする・・・と解釈してよいのだろうか。このあたりも、ストーリーの演出としてのものなのか、察しし難いものがあります。
原作は、業田良家原作の短編コミック「ゴーダ哲学堂」。




