ブタがいた教室

金曜ロードショーで「ブタがいた教室」を観た。普段あまりテレビで放映する映画は観ないんだけれも、最後まで観てしまった。

この映画は「生き物の命」についての認識を問うものであり、「責任」と「選択」について考えさせらせる映画だと思う。

物語は、ある学校の6年生の教室で「ブタ」を飼う事から始まる。
ブタは「Pちゃん」と名付けられクラスの人気者になる。
花火大会も、運動会もPちゃんと過ごし、父兄からは「家に帰ってもPちゃんの話しかしない」とクレームが来るほど、みんなは充実していた。

しかし、Pちゃんを飼う事について先生との約束があった。
それは「ブタをみんなで飼って、最後はみんなで食べる」と言うものだ。

卒業式が近づきホームルームでPちゃんをどうするか議論するが、「Pちゃんを他の学年のクラスに育ててもらう」と「Pちゃんは約束通り、食肉センターに送る」と言う意見に真っ二つに別れてしまう。

Pちゃんを生かしたい派のメンバーは何とか育ててくれるクラスを探そうと、校内放送で募集する。
すると、三年生のクラスが育てたい。と名乗りをあげてくれた。

Pちゃんを生かしたい派は、勢いづいてホームルームで三年生に育ててもらう。と訴えるが、大きく育ってしまったPちゃんを果たして、三年生が育てられるのだろうか?と言う意見も出る。

また、三年生がもしも、育てられなかった場合、この様な辛い選択をさせるのは、Pちゃんを飼い始めた責任を果たしていない。と言う意見も出る。

結局、嫌な選択をしたく無いので問題を先送りして、更にPちゃんをどうするかと言う判断を三年生にさせるのは良くない。と、食肉センターに送る派は、泣きながら訴える。彼らもPちゃんを送るのは辛いのだ…。

しかし、感情的にPちゃんを殺してしまう事など出来ない。と考える生かしたい派は、どうしても受け入れる事が出来ない。

そんな時、Pちゃんは柵を壊してどこかに逃げてしまう。
Pちゃんは警察に保護されていた。
警官に捕まれて、嫌がって暴れるのであるが、大人三人がかりでも押さえる事が困難なほど、Pちゃんは大きくなってしまっていた…。

自分たちの仲間のように過ごしてきたPちゃんの「命」を通じて、議論をして答えを出すというドキュメンタリーのような映画である。
「生き物の命」については、動物愛護の観点や、ペットとして見るのか家畜として見るのか、果たしてそれを学校という場に持ってきて「生き物の命」の長さを決める必要があるのか。というような、賛否両論がありそうな切り口であり、大人であっても結論が見出せにくいテーマだと思う。

ただ、人間が生きるためには、生き物を殺して食べているのは事実であり、そういった仕組みの上で成り立っているのが私たちの社会である。それを認識する必要が有るか無いかと言えば「必要がある」と思う。つまり、現実的には人間の「エゴ」の上に成り立っている仕組みを理解した上で、「生き物の命」を認識する必要があるのではないかと思う。

また、生きていくうえで人は色んな選択をする。それには責任が伴なう。
安易な選択をすると、しっぺ返しが来るし、選択を先送りすると、手に負えない事態になったり、次の世代が負う事になったりする。

大人になると本当に選択するものが多い。進学、就職、結婚・・・。また、選挙、経済、政治なども国民の総意としての選択と言える。

選択には結果が付いて来る。そして、それには選択した責任が伴なう。

この映画の子ども達のように、深く考察し議論して、例えそれが痛みを伴なうものだったとしても、選ぶ事があるべき姿なのではないかと思う。

また、この映画では、ありのままの姿で答えを見つけ出すプロセスを見つけて欲しいと言う意図から、子ども達用の台本には、Pちゃんがどうなるのか結論が書かれていなかったそうだ。さらに、実際に子どもたちは撮影前に、食肉センターや養豚場を見学もしているという。
本気で泣きながら話したり、心の底から悲しんだりと、子ども達の迫力のある演技に心を奪われてしまう。

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