劇場に行こうと思い立った時、近くの劇場公開は終わっていて、わざわざ1時間位かけて遠くの小さな映画館まで観に行ったんだけれど感想を書かなかった。テレビで放映されていたので改めて観てみました。
物語は、プロのチェロ奏者としてフィルハーモニーに所属していたいた小林大悟(本木雅弘)。ある日、突然フィルハーモニーが経営難から解散する事になり解雇されてしまう。
音楽家としてプライドを持っていた小林であるが、妻の美香(広末涼子)を連れて故郷の山形県酒田市に帰る事にする。
小林の実家は喫茶店であった。母親は既に他界しており、父親は遠い昔に家族を捨てて行方も分からない。
しかし、何か仕事をしなければ暮らして行けない。小林は、新聞で「旅のお手伝い」と書かれたNKエージェントの求人広告を見て、旅行代理店の仕事だと思い応募するのであるが・・・それは葬儀屋の仕事だった。
面接した社長の佐々木(山崎努)はすぐに名刺まで作らせ、強引に押し切られる形で就職することになってしまう・・・。
高い評価を得ていて、もう説明する必要は無い映画だと思うけれど、この作品はどうしてこんなに心を打つのであろうか。
これは作品の背景にある「死」についての思想が理由なんじゃないかなと思う。
例えば火葬場の職員 平田(笹野高史)が、馴染みの銭湯「鶴の湯」の女将さんを火葬する時に言う。
「また会おう。行ってらっしゃい」
これは、生命が生まれ変わり永遠に繰り返すという仏教思想では無いのかと思う。
この広い世界で親子、夫婦、兄弟、友人など深い縁で結ばれた関係は、きっと偶然では無いと思うし、命というのは多くの出会いと別れを何度も繰り返して生きている事を実感する。
特に身近な誰かを亡くした人にとっては、厳粛な気持ちで受け止められるし、かなり涙腺が緩くなってしまう場面でもある。
子ども、老人、様々の死に際の立会人として葬儀の場面が映し出されるが、家族に囲まれ穏やかな死だったり、早過ぎる死だったりする。
悲しむ家族、友人、その葬儀の場面は、その人の人生そのものなのであろう。
棺桶の中から外をうかがうカメラのアングルがあるが、やがて自分も同じアングルで外を見る時が来るのか。と考えると貴重な人生をきちんと生きているかどうか反省してしまったりして切なくなる。
山形の山々の四季を背景にチェロを弾く。四季の表現と生老病死という人生の比喩表現が心に響く。
また、多くの人の死に立ち会う事で、納棺師という職業について理解を深める主人公に焦点があてられているが、夫婦の関係と言うのは至ってシンプルに描かれている。(妻の美香の内面的な葛藤や家族などの背景などは全く無い)この辺りは、主人公の立場からの視点を際立たせるためなのかもしれませんが。
良い意味で、そういったメリハリと言うか潔い構成になっているのも好感が持てます。
なお、Wikipediaによると本作品「おくりびと」は、本木雅弘が青木新門の「納棺夫日記」を読んで感銘を受け、青木新門宅を自ら訪れ、映画化の許可を得たのであるが、脚本を青木に見せると、舞台・ロケ地が富山ではなく、山形になっていたことや物語の結末の相違、また本人の宗教観などが反映されていないことなどから当初は映画化を拒否される。
結局「やるなら、全く別の作品としてやってほしい」との青木の意向を受け、「おくりびと」というタイトルで、「納棺夫日記」とは全く別の作品として映画化されたというエピソードのある作品でもあります。
そのあたりのエッセンスも作品の背景には感じられますね。




