1974年(昭和49年)から1975年(昭和50年)にフジテレビ系で放映された実写ヒーロー番組を異端の監督、井口昇が映画版としてリメイクしたということで、名古屋シネマスコーレで観てきました。
テレビ番組としては、ヒーローもののメインストリームが仮面ライダーやウルトラマンだとすると、電人ザボーガーは少しアウトサイド的なものとしての位置づけられると思う。しかし、「バイクがロボットに変身する」と言うメカニカルな雰囲気が一部の子供たちから支持されていた。
そのザボーガーが井口作品として、女子に嫌われてしまいそうなフェチ的で少し間違っているセクシー視線も満載でありながら熱い映画として作られている。
ストーリーは、世界的な科学者の父 大門博士(竹中直人)が遺した電人ザボーガーと共に秘密警察として戦ってきた大門豊(古原靖久)。
敵のシグマ団は権力欲の強い政治家の細胞を集め、巨大兵器を作ろうとしており、多くの政治家が狙われていた。
そんな中、大門は次期総理大臣と言われている若杉議員(木下ほうか)を助けるのだが、若杉からは「襲われる前に助けろ」と叱責され、さらに、不正に手を染めていたり、シグマ団に襲われた時、愛人を身代わりにして逃げたりする素行に怒りを覚え、若杉に殴りかかり謹慎処分になってしまう。そんな大門に対して、新田警部(渡辺裕之)たちが屋台の飲み屋に誘い、温かく励ますのであるが大門の心は晴れない。
「自分は何のために戦っているのか?」そんな疑問を抱くようになり、大門は次第に居場所を失っていく。
また、大門は、仲間割れするシグマ団のサイボーグたちの中からミスボーグ(山崎真実)を助ける。
人間の頃に男たちから騙され命を絶ったミスボーグは、自分本位のシグマ団の男たちとは反りが合わず、彼女もシグマ団の中で居場所を失っていたのであった。
居場所の無い空しさを抱える大門とミスボーグ。そんな、二人が警察とシグマ団、人間とサイボーグと言う禁断の恋に堕ちてしまう…。
という所が前半の導入で、作品は、青年期と熟年期の二部構成となっている。
20代の頃、熱血漢 大門はザボーガーと共にシグマ団と戦ってきた。しかし、ザボーガーと共にその情熱を失い、自分も見失ってしまう。そして、25年の月日が経ち、47歳となった大門(板尾創路)。かつての精彩も失せてしまい、ハローワークに行っても仕事が見つからない。
また、警部として活躍していた新田や仲間の刑事たちも熟年期には、警察を解雇され日雇労働者となってしまっている。
これは、今一番シンドイ熟年層が感じている状況を象徴している。
物語のそんな流れを見ると、この作品が「今」公開されると言うこともポイント何じゃないかなと思う。
テレビ番組として放送されていたのは高度経済成長の真っ只中で、日本の未来は明るく、経済も成長しかない。右肩上がりの時代の中で、子どもたちは、自分も将来はヒーローのようになって悪と戦うとまでは行かないけれど、きっと豊かで誇れる人生を歩んでいるのだろうと思い描いていた。
しかし、2011年現在、40代の「おっさん」となっているザボーガー世代は、思っていた未来とは違い、日本経済の疾走感とか、リストラされちゃうんじゃないか?とか。年金がちゃんと払われるのか?みたいな不安に直面し、厳しい時代を生きている。
そんな、世代へ子どもの頃の曇りの無いヒーロースピリットを思い出させてくれるメッセージとして二部構成にしているのだと思う。
言いかえれば、それは「燃え尽きるまで戦い続ける」と言うあしたのジョー的なスピリットじゃないかな。作品を最後まで見ると、人生に行き着く目的などはなく、「どう生きるのか」と言うことが「人生の目的なのではないか」と思わせてくれる。
作品のディテール的には、そんな高尚なものじゃないんだけれど、そんなメッセージを異端ヒーローものとして全体のストーリーで伝えようとしている所がこの作品の一番の特長なんだろうな。
だから、リンクする世代は、泣けるじゃないかと思う。そうでない世代の人や女性は笑える作品かな。十分楽しめると思う。
でも、そんなメッセージがありながらカメラワークやシナリオは井口ワールド。
ミスボーグが四つんばいになってムチで叩かれたり、大門がミスボーグに対して悪事をやめるように嗜めたとき「これは、悪事じゃないのライフワークなの」と答えたりと、あり得ないストーリーや会話の展開は、シュールで失笑を買いそうな感じです。
まあ、そのあたりを期待している人には、井口作品としても満足できるんじゃないかなと思います。
何か褒めすぎちゃったけど、個人的には完成度は高いと思うけど、あくまでB級映画なので、間違えないでくれたまえ!




